2025年(10月上旬)に、山形と秋田で訪れた場所をまとめて紹介したいと思います。
山形牛ステーキを堪能する山形の夜
初日は移動がメインで、山形市に宿泊しました。その時のレビュー記事はこちらをどうぞ↓
その日の夜は山形の美味しい料理を堪能すべく、山形駅の東側にある「ヲ魚のニ○加屋(をととのにわかや)」に行ってみました。
18時くらいにお店に行ってみましたがまだ席は空いていました。ただその後は続々と来客していて、ほぼ満席に近い状態になっていましたね。まずは生ビールからスタート。


こちらがメニュー表。日替りメニューは海鮮系やごはん系、揚げ物、おつまみ系などジャンルは多め。


こちらは定番メニューで、海鮮系の他、魚と肉のにぎりなんかもありました。


こちらは生イカ下足のごま油塩。やや塩味は強いがコリコリとした食感が良く、酒のアテとしてはオススメの一品。


口コミで気になっていたのがこちらのレアアジフライ。絶妙な火加減で生臭さはなく骨もしっかりと取って下処理されていて、肉厚の身でより旨味が感じられて、箸が止まりませんでした。


箸休め的な感じで、アボカドに塩こんぶをかけたものを追加オーダー。


そしてこのあたりで山形の地酒をチビチビと頂きました。


最後に山形牛ステーキを頂いてみましたが、肉は柔らかく肉汁もしっかりと感じられ美味しかったですね。


どの料理も美味しく大満足でした。ごちそうさまでしたm(_ _)m
立石寺(山寺)の石段を登り麓に広がる景色を一望
翌日は、山形から岩手の盛岡へ向かう予定だったのですが、その途中で立石寺(山寺)に寄りました。
「立石寺 登山口」と書かれているのが、ちょっと面白いですね。普通は”拝観”とかなのでしょうが、”登山”と書いてますからね。


こちらは「根本中堂」と呼ばれ、国指定の重要文化財でブナの建造物としては日本最古を誇るのだそう。


登山入口のほうへ向かっていきます。


松尾芭蕉の像と、弟子の曾良(そら)の像が立っています。


こちらが登山入口。こちらで入山料を払って登山が始まります。


なかなか角度のある石段がこれからずっと続いていきます。


切り立つ崖が目の前に迫ってきますが、よくこんな険しい場所に造ったなと感心します。




背後にある凝灰岩が風化して阿弥陀如来の姿を形作っているという、弥陀洞(みだほら)。仏様の姿に見える人は幸福が訪れるという言い伝えがあるそうです。(残念ながら私には見えない・・)


まだ途中ですが、けっこう石段を登ってきて、後ろを振り返るとこんな感じ。普通に過ごすにはちょうど良い天候でしたが、うっすら汗をかき息を切らしながら登ってきました。


こちらが大仏殿と奥の院(正しくは「如法堂」とのこと)。ここが一番奥ですが、ここまで石段を登ってくる中で、煩悩が消滅して幸福になるのだそう。




こちらは立石寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂(開山堂)。向かって左の岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で、ここで一番古い建物とのこと。




こちらは五大堂で、開山30年後に建立された五大明王を祀る道場とのこと。


断崖に突き出すような形で作られているので、周囲の景色を一望できます。


ちょっと雲のかかる天気でしたが、素晴らしい景色が広がっていました。


往復で1時間30分くらいと聞いていましたが、実際は1時間ほどで戻ってくることができました。真夏の時期はかなり辛いでしょうが、過ごしやすい春とか秋くらいの季節に訪れるのが良いかもしれないですね。
この後は岩手県・盛岡市まで移動し宿泊しました。その時のレビュー記事はこちらをどうぞ↓
1300年の歴史を誇る壮大なスケールの尾去沢鉱山を見学
翌日は、盛岡から秋田県・鹿角市の尾去沢鉱山へ向かいました。今回の旅行のメインはここに行くことで、2026年3月いっぱいで一般公開が終了してしまうということを知り、雪が降る前に行ってみることにしました。(2026年度からは、社会科見学を目的とした団体のみを受け付けるそうです)
1982年にマインランド尾去沢としてオープンし、2008年4月に史跡 尾去沢鉱山に改称してリニューアルオープンしたそうです。


こちらで観覧料を払って坑道内に入ってきます。


年間を通して約13℃とのことですが、30分もしたらだいぶ体は冷えていたので、普通に冬に着るような厚手の上着を持ってきたら良かったなと思いました。


坑道内は照明でしっかりと照らされていて、特に歩きにくいとかはなかったです。このような道がずっと続いていきます。


このように垂直方向に採掘された跡が残っていて、写真には写りづらいですが、かなり高さで採掘されていたことがわかります。


シュリンケージ採掘法という方法で採掘されていたそうです。鉱山の中は、坑道が15段になっていて1段が高さ30mで、全体としては450mの高さで坑道が掘られていたそうです。東京タワーよりも高いわけですから、ちょっと想像を絶しますね。


こちらは大規模採掘跡。先を行く人がちょっと写っていますが、人がその高さですから、いかにこの坑道が巨大かわかるかと思います。


上方向を見るとこの奥も含めて数十mの高さで掘られているわけで、これが最初に目の前に現れた時はこのスケールに圧倒されました。


こちらの削岩機で穴を開けて発破するという作業を繰り返すのだそうです。


ちょっと開けた場所には「古酒の蔵」というものがあり、日本酒の熟成が行われていました。年間を通して安定した低温なので、ゆっくりと熟成が進むのでしょうね。




人形により休憩所や事務所の雰囲気が再現されていました。




黄銅鉱(おうどうこう)が展示されていました。銅と鉄の硫化鉱物で、銅の主要な鉱石とのこと。


鉱石の運搬の様子も人形で再現展示されていて、なかなかリアリティがあります。


坑道は30mの高さごとに展開されているのですが、その坑道間での人や鉱石、物資の運搬に、この立坑(エレベーター)が使われていたそうです。


足場を組んで削岩機で掘り進め、鉱車で搬出する様子。




こちらはローダーを利用して鉱車に積み込みする様子。


こちらは最初とはまた別の大規模採掘跡。


やはり写真では分かりにくいのですが、高く掘り進められている様子が肉眼では良く見えました。


鉱山の様子などをパネルで展示しているエリアもあり、当時の様子がより伝わるようになっていました。




尾去沢鉱山には江戸時代に掘られた坑道(手掘り)が完全な形で多く残されているそうで、金山奉行所の様子も人形で再現されていました。


この場面は採掘した鉱石の鑑定を受けている様子とのこと。


金鉱の粉末を水洗いして泥を流し金を採集する”椀かけ作業”の様子。多くの女性も働いていたことが分かります。


掘り出された鉱石などを運搬するといったことにも女性が活躍していたそうです。


また隠れキリシタンもいたそうで、当時鉱山に認められていた治外法権的慣習が彼らの潜伏に適していたとされているそうです。


坑道内の見学も終わり、地上に出てきました。


様々な小判なんかも展示されていました。


尾去沢鉱山は708年に発見されたと伝えられているそうで、そこから1300年経った際の記念碑が立てられていました。




地上からは全く想像できないほど内部には巨大な坑道が広がっており、とても大きなスケールに圧倒されていました。また江戸時代の手掘り跡も残されており、近代の採掘も含めて歴史を伝える貴重な坑道であると思います。2026年3月で一般公開は終了となりますが、行ける方は是非行って実際に体験してみて欲しいと思います。
この後は仙台市まで移動し宿泊しました。その時のレビュー記事はこちらをどうぞ↓
まとめ
2025年(10月上旬)に、山形と秋田で訪れた場所をまとめて紹介したいと思います。
山形では山形牛を食べたり立石寺(山寺)に行ったりしましたが、2026年3月いっぱいで一般公開が終了してしまうということで今回の旅行のメインは尾去沢鉱山に行くことでした。
実際に行ってみて、地上からは全く想像できないほど内部には巨大な坑道が広がっていてそのスケールに圧倒され、江戸時代の手掘り跡も残されているなど、積み重なった長い歴史を感じられる貴重な体験ができました。
2026年3月で一般公開は終了となりますが、行ける方は是非行って実際に体験してみて欲しいと思います。






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